1. 明治神宮

神社

日本最大の神社・明治神宮

 原宿駅から徒歩1分、言わずと知れた日本最大級の人気・知名度を誇る明治神宮に参拝してきました。

 主祭神は明治天皇昭憲皇太后で、大正9(1920)年に創建されました。しかし、神宮創建への萌芽となる動きは、明治天皇崩御の二日後にはすでに始まってたのです。その日、東京商業会議所で、「明治天皇の御陵墓を東京に定めるよう当局に陳情する」ことを目的とした会合が開かれました。そのメンバーは、今年度の大河ドラマの主役でもある渋沢栄一、東京市長の阪谷芳郎、商業会議所会頭の中野武営。彼らは、御陵墓に関する陳情が明治天皇の京都に対する強い御意思によって頓挫したことにより、陵墓に代わる明治天皇の偉大な功績を記念する施設を東京に構えられないかと考えました。そうして、陵墓に代わる神社、国民の明治天皇に対する尊崇の念を表し、明治の時代を称えるための明治神宮造営の運動は始まったのです。

明治神宮へと繋がる道・表参道

 若者のおしゃれな街・表参道。今でこそ洗練されたブランドショップやオシャンティーなカフェが立ち並ぶこの町も、元々は明治神宮創建にあたり参道として整備されたのが始まりです。

 ところで、明治神宮には、青山通り交差点から神宮橋を通って内苑南参道入り口に達する表参道と、内苑北参道入り口と外苑とを繋ぐ裏参道の大きく2つの参道が境外に存在します。しかしその実、当初の計画では神宮の主要参道となるのは裏参道の予定でした。実は当時の東京では、明治天皇即位50年を記念する日本大博覧会が開催予定であり、そのための準備が着々と進められていました。勿論、この博覧会自体は夢に終わりましたが、この明治神宮の創建場所はこの会場予定地でもあり、また裏参道の敷地も開催用地として国の管理下にあったことから、参道用地がすでに確保されているという利点が重視されました。そうして計画を進める中、ある疑念が沸き上がりました。それは「鬼門」です。鬼門、つまり艮(北東)の方角は、古来より何をするにしても避けなければならない方角とされ、家相においても門や玄関、水回りを置くのは避けるべきと言われています。その点において考えれば、北から入る参道というのはよろしくない、というわけです。このようないわば俗説を取り上げるかについて議論は紛糾しましたが、結局表と裏を逆転させ、南をメインにする現在の形に落ち着きました。こうした様々な議論や考えの末に、現在の文化の発信地である表参道が出来上がっていったのだと思いますと、明治神宮の今日の文化や、都市の形に与えた影響の大なることを改めて実感できますね。

 表参道の人混みを抜け、交差点を渡ると、原宿<明治神宮前>駅の横、神宮橋にたどり着きます。英語版Wikipediaでは、何故かコスプレイヤーやファッションパフォーマーの聖地のようなニュアンスで書かれていますね。もっとも、最近はあまり見ないような気も致しますが…

 余談ですが、表参道は元旦に明治神宮から初日の出が拝める方向に作られたという都市伝説があるようです。真偽のほどは不明ですが、気になる方は明治神宮から見た初日の出の様子を見に行ってはいかがでしょうか。

 そうして神宮橋を渡りますと、表参道の終着点、そして南参道の入り口、第一鳥居に行き当たります。その鳥居は、まさに73ヘクタールと日本一の大きさを誇る明治神宮にふさわしい壮大さだと言えるでしょう。

都心の中心に聳える、永遠の杜

 表参道の喧騒を抜けて神宮橋を渡り、第一鳥居をくぐると、都会の真ん中に位置するとは思えない壮大な大森林に迎えられます。原宿・表参道の騒々しさとは打って変わった涼やかで森厳な雰囲気は、都会の活気に疲れた心身に癒しを与えるとともに、一抹の緊張感を抱かせてくれますね。

 しかし、今でこそ圧巻の大森林が広がるこの明治神宮内苑も、神宮創建前ー代々木御料地と言われていた頃は、大部分が農地や草地で、林地は全体のわずか5分の1ほどであったといいます。

 これは、新宿・渋谷・原宿近辺のGoogleマップです。ビルがひしめく灰色の中で、一際大きな緑が目立ちますね。

 その実、全国的な注目を浴びていた神宮造営運動には、全国各地から候補地の請願が数多くありました。東京以外にも、筑波山や箱根山など風光明媚で、著名な観光地への誘致の請願の数が多く、中でも212件と一番多くの請願が集まったのは富士山でした。

 確かに、これらの候補地は当初から崇高壮大な森林が広がっており、このような土地は東京にはありません。神宮造営に関する様々な事項について審議・決定を行い、時の内大臣・原敬を会長として、前述の渋沢栄一・阪谷芳郎も中心メンバーとして委員に加わっている神社奉仕調査会は、まずこの鎮座地の決定、箱根や富士といった「形勝風致」の土地に定めるか、奠都以来の東京の「由緒」を重視するかを定めなくてはなりませんでした。

 第二回調査会にて、渋沢栄一は真っ先に「由緒」重視の方針を掲げました。その後に続く議論においても、なるほど風光明媚の点においては箱根や富士が最適だが、明治天皇の御成徳を末永く仰ぐためには参拝しやすいところでなくてはならず、由緒を重視して東京に鎮座地を決定した上で、人為をもって、富士や箱根に負けない森厳性を確保する。ここに、東京の中心に、永遠の杜を作る、壮大なプロジェクトが始まりました。

 そもそもここ明治神宮は、元は熊本藩主加藤忠広の別邸であり、その後三代将軍徳川家光によって、彦根藩主井伊直孝に与えられました。その後しばらくは井伊家の下屋敷となっていましたが、明治6年に国に返還され、明治17年には宮内省に買い上げられて代々木御料地となりました。御料地の時代には、井伊家時代の庭園部分、現在の明治神宮御苑にあたる部分を皇后陛下の散策の場として改修したりはしましたが、そのほかの場所はほとんどが原野であり、そこに一から参拝者に神聖厳かな気持ちを抱かせる、幽邃森厳な神社林にふさわしい永遠の杜を作るには、壮大かつ緻密な計画とその厳密な遂行が必須でした。

 当時の常識として、神社林にふさわしいのは杉や檜などの針葉樹林であると考えられており、その点は計画を立てる専門家、その中心である本多静六や弟子の本郷高徳にとっても共通認識でした。しかし、この代々木の地に針葉樹の林を作るのには大きな問題がありました。代々木の地は森林帯上暖帯に属し、また都会特有の煙害に強い樹種、つまり椎や樫、楠などを中心とする照葉樹でないと、到底千年万年続く永遠の杜は望み難いと考えられたのです。

 彼らは、ここに、それまでの常識を覆し、「遠に其林相を維持し得るもの、即ち天然更新なし得るもの」こそが神社林に相応しいという発想に基づき、照葉樹による崇高な神社林というこれまでにない新しい構想がスタートしました。

 その計画は遷移過程を四段階に分け、約百年で完成に至るという壮大なものでした。しかし、これらの計画には、やはり当初から根強い反対の声がありました。中でも最も厄介と言えたのは、時の内閣総理大臣・大隈重信先生の反対でした。神宮の森を藪にするとは何事だ、当然伊勢や日光のような壮大な杉林にするべきだと憤る大隈先生に対し、林学関係者は照葉樹は藪ではなく、それ相応の工夫もなされること、また如何に杉が代々木の生育環境に適さないか、を説明しましたが説得出来ず、最後は代々木の杉を何本か切り、樹幹解析図を作って日光の杉と比べることでやっと納得したとのことです。ここで説得出来ず、神宮の杜を杉林にしていたら一体どうなっていたのか…?いつの時代もこういった専門外の権力者からの介入は困ったものといえますね(苦笑)

 現在植えられているこれらの人工林は10万林を超し、しかもそのほとんどが献木によるものだというのですから驚きです。献木は全国から寄せられ、個人の他にも、地方自治体や学校等の記念事業としても行われました。献木の経費は献木者の負担でしたが、鉄道・汽船各社は運賃を5割引きにして協力し、最も盛んであった大正6.7年頃には、原宿に到着する献木の貨車が30以上に及ぶ日もあったといいます。

 また、この森の造営には、全国各地から集まった青年団の奉仕による貢献も大なるものでした。この青年団奉仕は、「青年団の父」とも呼ばれ、当時造営局総務課長であった田澤義鋪によって企画立案され、全国規模の運動となったこの青年団運動は、計209団体、約11万人もの青年が参加し、造営に多大な尽力をしました。

 これらの献木運動や青年団奉仕を通じて、明治神宮は国民参加によって作られた、真の国民の神社となっていったのです。

葡萄酒樽と清酒菰樽

 森林を抜け、いよいよ大鳥居に差し掛かるという所にいたって、多くの人はあっと声をあげ、その意外な光景に思わず立ち止まるでしょう。その参道右手には一面に沢山の酒樽が並べられています。ここに並べられている清酒菰樽は、兵庫灘にある酒造会社の東京支店の会である甲東会さんや、明治神宮全国酒造敬神会会員の方、また全国各地の有志の酒造家さんにより奉納されたものだそうです。

 また、お隣左手には、ともすればより意外に感じる方が多いのではないでしょうか、ワインの酒樽が並べられています。神社に洋酒…?と感じる方も多いかもしれませんが、断髪や洋装を始め衣食住の様々な部分に率先して洋風を採用なさっていた陛下はワインを殊の外お好みでいらっしゃったとか。ここにあるワインはかの有名なフランス・ブルゴーニュ地方からの献納品だそうで、思わずチーズと生ハムが欲しくなってしまいそうな光景ですね!まあ最も、筆者は未成年なので飲めないのですが…笑

大鳥居から正参道まで

 さて、清酒菰樽・葡萄酒樽のエリアを抜けますと、いよいよ南参道と北参道の合流地点です。左手にはそびえ立つような大きな鳥居が見えますね!こちらがいよいよ本殿に至る正参道の入り口・大鳥居です。お辞儀をして、いざくぐりましょう!

 正参道も両隣は大森林で大変清々しい雰囲気ですね。左手と正面には明治神宮の歴史等々について書かれたパネルが設置されているので、眺めながら行きましょう。参拝した日はとても天気が良く、空を眺めていたら飛行機雲が見えました。飛行機雲を見ると、なんかラッキーと思うのは私だけでしょうか。

 さて、正参道を右に曲がると、手水舎にたどり着きます…が、新型コロナウイルス対策のためでしょう、旧来の手水舎は閉鎖されており、代わりに非接触型(でいいのかな?柄杓を持たなくて良いタイプ)の手洗い所が設置されていました。最近は多くの神社が同じような対応をされていますね…!困難な状況下で制限が多い中、資金や労力、時間を投じて参拝客のために様々な工夫をされている神社や寺院の方々には頭が下がるばかりです。旧来の手水舎はなかなか立派なお造りで、明治天皇の御製と昭憲皇太后の御歌が飾られています。いつかこちらの手水舎をまた使えるようになる日が来ることを願うばかりです。

本殿参拝

 

 さて、新・手水舎にて身も心も清めましたら、いよいよ参拝です!本殿前最後の鳥居である第三鳥居が見えますね!ちなみに鳥居を入ってすぐの右手に見える建物でお守り等は頂けます。御朱印は別の建物になりますのでご注意ください。

 鳥居をくぐりますと、御社殿の入り口にたどり着きます。流石に人が多くなって来ましたね。卒業式や成人式の前撮りとも思しき晴れ着姿の方々もちらほら見えて大変華やかな空間です(*^^*)私は成人式の写真は後撮りにしたのでまだなのですが、明治神宮で撮るのもいいかもしれないなとこっそり思ったりしました笑

 ついに本殿にたどり着きました!いやあ大きい。流石は明治神宮としか言いようのない立派な社殿です!

 こちらの社殿は築地本願寺等を建築した伊藤忠太氏などを中心に、材料は檜素木造、建築様式は流造という様式でつけられました。その際には専門家間で、建築様式は、様々な歴史的画期となった明治を表すために新様式で作るべきではないかという議論が起こりましたが、結局は全国的に神社の建築様式として最も一般的であり、あらゆる立場の国民に受け入れられやすいという観点から流造に落ち着いたそうです。

 それでは参拝しましょう!明治神宮にはお賽銭を投げる場所が5つ(多分…)もあるので、人が多くともそんなに並ばなくてよいですね。もっとも、参拝客数全国1位と言われる初詣は別ですが笑

 いやしかし、真近くで見てもつくづく立派な社殿です。しかし、この社殿も創建当時の姿のままというわけではありません。昭和20年4月14日、その日1330発以上もの焼夷弾が明治神宮を襲い、少なくとも200発前後が本殿を中心に投下されました。当時の神宮の神職ほか、守衛や技師らの職員はもちろん、消防隊や軍隊、地域住民も含めて総出で消化にあたりましたが、社殿はあえなく灰燼に帰しました。しかしその中でも、彼らは決死の覚悟で両祭神の御神体である御霊代を守り抜き、終戦後の、焼け跡に辛うじて小さな仮社殿を建てるのみで整備もままならない苦難の時代を乗り越えて、昭和33年、ついに現在の姿へと復活を遂げました。

 この本殿の再建の際には、社殿をコンクリートにするか、従来通り木造にするかで議論が紛糾したそうです。神社の本殿がコンクリート…?と思う人もいるかもしれませんし、実際に木造に落ち着きましたが、もう二度と社殿が燃えるようなことにはなりたくないという強い思いが伝わりますね。

 そんな先人たちの途方もない思いと努力を胸に抱きながら、二礼二拍手一礼でお参りしましょう。

御朱印

 御朱印は本殿右手に向かい、外に出る門の直前右手の建物で頂けます。初穂料は500円です。シンプルな構成ながらも力強く美しい字で、まさに最初に貰うのに相応しくスタンダードな立派さのある御朱印です˖✧元号の他に皇紀についての記載があるのが明治神宮らしくて嬉しいですね。

 また、今回は最初ということで御朱印帳も頂きました!初穂料は1000円です(御朱印代は別)。紫色の剣花菱柄の御朱印で、こちらもシンプルですが大変上品ですね。

 ちなみに、現在は新型コロナウイルスの影響で、通常の御朱印は書き置きのみ(訪問時の3月24日現在)ですが、明治神宮で御朱印帳を購入した場合のみ書き込んで頂けます。

明治神宮・基本情報

明治神宮

 祭神:明治天皇、昭憲皇太后

 創建:大正9(1920)年

 例祭:11月3日(明治天皇御降誕の日)

 住所:東京都渋谷区代々木神園町1-1

 最寄り駅:原宿駅から徒歩1分、表参道駅から徒歩12分、渋谷駅から徒歩16分、北参道駅から徒歩   17分

 HP:https://www.meijijingu.or.jp/

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