4. 久我山稲荷神社

京王・小田急沿線

縁深い久我山の鎮守・久我山稲荷神社

  今回は久我山稲荷神社に参拝してきました!実は私は中高と國學院大學久我山の出身なので、久我山は個人的に思い入れのある街なのです。懐かしい気持ちで訪れました(*^^*)

 さて、久我山稲荷神社は久我山駅を北口から出て徒歩4分、大きな鳥居長めの階段が目印です。

 鳥居をくぐってすぐ横の階段を上ると境内社があります。猿田彦大神と庚申様をお祀りしており、元禄16(1703)年に創建されました。庚申様は養蚕業に益する神様で、そのことから正月元旦には神社において金銀の槌を授与し氏子の幸福を祈る習慣があるそうです。

 その奥、木の生い茂る中には、植樹記と記された石碑があります。この豊かな木々は植樹されたものでしょうか…?

 さて、階段を上って参道には、稲荷神社らしく可愛らしい赤い前掛けをしたお稲荷様がいらっしゃいます。

 二体のお稲荷様の間を通ると、すぐに本殿です。この写真では伺えないかもしれませんが、ガラス扉の向こうの本殿の中には、お神酒などのお供えものがたくさん置かれてあるのが見えました。地元の人に大切にされているのが伝わってきますね。

 お賽銭箱のところには、子供向けにお参りの作法の説明書きがありました。他にも境内にボール遊びを禁じる注意書きがあったりと、普段から地域の子供たちが神社に遊びに来る様子がうかがえますね。実際、神社の隣には久我山幼稚園があり、終始元気な声が聞こえてきました。子供たちは本当に礼儀正しくて、見ず知らずの私にも「こんにちは!」と元気に挨拶してくださり、びっくりするとともに大変感心致しました。

本殿左手には境内社があり、八雲大神が祀られています。境内社右手には沢山の絵馬がありました。毎年7月24日に疫病消滅を祈願してお祭りしているらしく、現在は時節柄、新型コロナウイルス退散祈願の幟が鳥居前に掲げられていました。

本殿右手には力石がありました。これは120キログラムもある大きな石で、明治・大正時代に村の若者がこの石を担ぎ、力を競い合ったそうです。古来より、病人がこの石を担ぎ上げれば全快するとされた「石占い」に由来するそうで、石の表には、その重さと担ぎ上げた人の名が刻んであるとあります(説明板参照)。

金玉均と久我山

 本殿右手には、力石の他にももう一つ石碑があります。歪な長方形のような形の石碑には、何やら漢文のようなものが書かれています。この漢文を揮毫した人は金玉均。なかなかパンチのある名前で笑、見覚えのある人は多いでしょう。李氏朝鮮末期の開明派の政治家で、閔妃政権打倒を狙って甲申事変を起こすも失敗、その後日本に亡命して各地を転々とした後、明治27(1894)年上海で暗殺されました。そんな彼とこの久我山の地が、一体どんな関係があるというのでしょうか。

 石碑の漢文の内容を見てみましょう。

(本文)

余至小笠原島与飯田作右衛門君結識君天性至孝間里称之君嘗言我生幼而多病成童以未従事商一務無一所出現寄寓于此島然有老父年踰七旬家住東一京之武蔵国遠不能晨昏侍陪只切堂雪之私言念鞠]育劬労之恩昊天図極思欲竪一碑於老父所居之地銘載吾不孝之罪以戒示子孫君其為我記之余實感其言遂即席書此以贈|

(訳)

私(金玉均)は小笠原に来て、隣近所から君子と評される飯田作右衛門君と知り合いになった。彼は幼い頃には病がちで、また若くして家を出て商売を行ったため、親孝行もできず、今は小笠原島に身を寄せている。年老いた父親は、遠い武蔵国に住んでいて、そばにもいられずただ気持ちを表すのみである。報いたくても報いきれないほど大きな親の恩のため、老父の住む所に自分の不孝を記した石碑を立てて、子孫への戒めにしたいから碑文を書いてくれと頼まれた。私はその心根に強く打たれ、その場でこの文を書いて贈る。

 祖国・韓国の発展を願い、夢破れて亡命した金玉均と、久我山に生まれ、幼くして小笠原に渡り砂糖王と呼ばれた飯田氏との意外なつながりは、ここ久我山稲荷神社と久我山の歴史にも深みを持たせてくれますね。

湯の花神楽

 久我山稲荷神社では、毎年7月24日に夏祭りが行われ、八雲大神をお祀りして、上記写真の神楽殿で湯の花神楽を奉納します。

 湯の花神楽とは、湯立行事とも言って、大釜に熱湯を仕立て小笹をもってその湯の滴を全身に浴し、誠心誠意を神明に誓うものだそうで、古くは盟神探湯(くかたち)と呼ばれていました。久我山稲荷神社では、神楽の最後に神前にお供えしたお餅を撤して、お祭りの行事を終わりとするらしいです。(説明版参照)

 そもそも湯の花神楽は、昔多くの人がなくなるような疫病が流行した際に、困った人々が氏神様に集まって神楽を奉納しお祀りしたところ、疫病を防ぐことができたことから、それより毎年行われてきました。明治になって一度中断されたこともあったそうですが、その年に再度疫病が蔓延したことから、その後は絶えることなく行われていると言います。疫病…まさに今年こそ必要と呼べる行事ですね笑

ご由緒

 久我山稲荷神社の創建について、明確なことは分かりませんが、新編武蔵風土記稿(文化・文政期に編集された武蔵国の地誌)の多摩郡久我山村の条に稲荷社として掲載され、神社の様子と、村の鎮守であり、例祭は11月に日程を定められず行われていること、別当寺は光明寺であることなどの記載があります。

 明治40(1907)年4月に字北原にあった天祖神社を合祀し、昭和16(1941)年に村社となっています。

御朱印

 久我山稲荷神社には、神職の方が常駐していないので、久我山稲荷神社の御朱印は、下高井戸浜田山八幡神社で貰えます。

 基本は神職の方に直接書き込んで頂けますが、当日はいらっしゃらなかったので書置きを貰いました。下高井戸浜田山八幡神社さんは、久我山稲荷神社の他にも、春日神社・第六天神社・松庵稲荷神社さんを管理なさっています。

久我山稲荷神社・基本情報

久我山稲荷神社

 祭神:保食命、天照大神

 創建:不明

 例祭:10月1日

 住所:東京都杉並区久我山3-37-14

 最寄り駅:久我山駅から徒歩2分

 

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